イタンジ社長 伊藤嘉盛のブログ

ITを使って不動産業界にイノベーションを生むイタンジ株式会社の社長ブログ

経営チームをつくるときに心がけた3つのこと

私がイタンジの経営チームを作ったときに心がけたことは3つあった。

 

・「誰とやるか」に強くこだわった

・「なぜやるか」を全員で深く共有した

・「何をするか」の前に、「どのようにするか」を決めた

 


ポイント1:「だれとやるか」に強くこだわった

一般的な事業立ち上げの流れは、まずはじめに理念(Why)、

次に事業領域(What)、次に戦略(How)、最後に組織(Who)を決める。

理念と事業領域が会社の根幹だとされている。

一方、イタンジの場合は、まずはじめに「誰と一緒にやるか」について深く考えた。

私は次の4点をメンバー選定の判断基準とした。

 

1. お金ではなく夢を追いかけている

2. 世の中を変えるのは誰かではなく自分だと信じている

3. 手がけた分野で優れた実績を残している

4. 仕事は最高の「遊び」だと考えている

 

事業環境は時間とともに変化する。 事業環境は変化すれば、最適な事業領域、戦略は変化する。

やることベースで人を集めると変化に対応することが難しい。業績の低迷によって事業転換を迫られている企業がなかなか変革できないケースは、やることベースで人を集めたことに一因がある。

情熱を持った優秀な仲間と起業すれば、大きな困難や事業環境の変化を乗り越えることができると私は信じている。

 

 

ポイント2:「なぜやるか」を全員で深く共有した

事業を始める前にまずはメンバーとそれぞれの原体験について共有した。最初の記憶、家庭環境、両親の存在について、幼少期に楽しかったこと、悲しかったこと、どんな遊びに夢中になったか、初めて学校に通った時の気持ち、学生時代に夢中になったことなど、人格形成に影響を与えた事象を洗い出した。事業に参加する理由をそれぞれの人生の文脈の中で捉えることによって「なぜやるか」をお互いに深く理解した。その結果、次のようなメリットがあった。

 

1. お互いを疑うことがなくなり、深い信頼が生まれた

2. モチベーションの源泉や得意なことがわかった

3. 事業の方向性について大まかに合意が得られた

 

 

ポイント3:「何をするか」の前に、「どのようにするか」を決めた

「誰とやるか」、「なぜやるか」が明確になった後に、私たちは行動指針を定めた。

行動指針は会社のDNAにあたるものだ。イタンジの行動指針は、

 

量の戦いで勝つことを捨て、質的なジャンプが生まれることを一番の狙いとしている。

出来上がった行動指針が次の通りだ。

 

1.  エンドユーザファーストによって業界の発展を実現する 

2.  真実に耳を傾け、本質を見抜く 

3.  人生は短い、行動しよう  

4.  最小リソースで最大効果

5.  勝つ時は大きく勝つ 

6.  それはクレイジーか?

7.  コミュニケーションをオープンに 

8.  言葉のチカラを発揮する

9.  謙虚さを忘れずに、人間性を高めよう 

10. 仕事は遊び

11. 不屈の精神 

12. 悩んだらワクワクする方を選ぶ

 

私は朝起きたときや仕事に取り組んでいるときに、この行動指針を頭の中で頻繁に参照している。

経験上、論理的思考にしたがって戦略を立てると、バランスがとれた優等生的なものに仕上がることが多い。私は事業戦略案をつくった後に行動指針を思い出して、あえて思いきりバランスを壊して、とがった戦略に書き換えるようにしている。

 

まとめ

スタートアップ時は人手が足りない。協力してくれる人を片っ端から巻き込みたくなる誘惑がある。

その誘惑に負けると、事業を拡大するために人を集めたはずなのに、社内をまとめるのに手いっぱいという結果になる。

メンバーの選定を徹底的にこだわること、事業に参加する意義を深く共有すること、行動指針を定めておくこと、これらが限られた時間とリソースで大きく事業を成功させるための秘訣だと私は考えている。

論理的思考の彼岸

ビジネス書ではロジカルシンキングが問題解決の万能薬のように取り上げられている。しかし、会社を経営していると論理だけではたどり着けない境地があることに気づく。
例えば、新規顧客を開拓しようと考えた時、クライアントへのアプローチ方法をMECEで洗い出したところで、効果的な営業戦略は立てられない。なぜなら、論理的思考で導き出したアプローチは、他の人がすでに実施した二番煎じの策であることが多く、営業を受ける側からすると「またか」となる。
結果を生み出すアイデアを発想出来るか否かは、経験に基づく「技巧」や人生で磨いてきた「センス」によるところが大きい。論理的思考とは違い、「アート」と「センス」は誰もが身に着けられるものではない。「問題解決はアートとセンスだ」なんて本があっても、読者が「習得できる」と思えないのでまったく売れないだろう。ロジカルシンキングの本が売れれば売れるほど、みんなが右の時に左へ、止まる時に全力で走るような天邪鬼な人間が成功しやすくなるのではないだろうか。
基礎体力としての論理的思考は必要だとして、まわりに頭一つ差をつけるためには、経験の量はもちろん、直観や遊び心といった思考的な揺らぎが必要だと思う。

不動産との出会い

夕暮れ時、戸建の建築現場で余った木材を積み木のように使って一人で遊んでいる。


これは私が不動産に触れた最初の記憶だ。5歳頃の記憶だと思う。父は不動産業で起業して、母はその会社の経理をやっていた。今思うと生活のいたるに不動産があった。保育園が終わると父が迎えに来て、建築現場に立ち寄り、父は大工とやりとりをして、その間、私は建築中の家の中で廃材をおもちゃにして遊んだ。会社に連れられたときは不動産のチラシのうらに落書きをして時間をつぶした。夕食中にも「ツボ」「へーべー」「カリイレ」「チャッキン」など子供番組では決して耳にしないような言葉が飛び交っていた。そんな環境で育ち、兄は一級建築士になり、私は不動産系IT社長になった。

<5歳頃>

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ずっと不動産に興味があったかと言うと、そんなことはない。10代の頃は、不動産は眼中になくバンド活動に没頭していた。(それでも思い返すと、バンドの練習場は建築資材置場だった)父はバンドをやる姿をみて「そんな暇があるなら大工になれ」と言った。大学に入学してからもバンド一筋だった。しかし、二十歳を過ぎた頃、音楽に人生を捧げるほど自分には音楽への情熱が無いことに気づきバンドをやめることにした。音楽は好きだったけれど、音楽以上に「どうすればバンドが売れるか」を考えることに自分の興味があることに気づいた。そして、世の中の不便を解決するようなアイデアを実行してビジネスで大成功しようと思い、音楽から商売へと大きな方向転換をした。今でいうスマ婚のようなビジネスモデルを考えたが、計画と実行力があまりにも不足していて、売上を上げることなく、学生時代の起業は失敗に終わった。起業で失敗して借金を背負い、滑り込むように就職活動を始めた。そして、不動産と再会することになった。

<音楽からビジネスの世界へ足を踏み出した頃>

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商社、金融、メディア、下着メーカーまで様々な業種の面接を受けたが、内定が出るのは何故かすべて不動産業界だった。ふたを開けてみれば、モーセに割られた海を渡るがごとく、不動産業界に導かれ大手不動産管理会社に就職した。(就職してからの話は次の機会にでも)

不動産に再会してから7年が経ち、最初の記憶から25年近くが経とうとしている。私は今、いつも自分の人生の傍に存在していた不動産に対して思うことがある。私は不動産に関わる仕事で、自分の生きた証を世の中に刻みたい。巨大な不動産市場においては人ひとりの人生なんぞ大海の一滴かもしれない。だが、私は不動産に人生をかける覚悟だ。まずは、永らく解決されないままになっている不動産取引における「情報の非対称性」「非効率」の問題を解決する。不動産の流通を変える新たな仕組みを1年以内につくり上げたいと考えている。

<そして今、イタンジのメンバーと>

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