イタンジ社長 伊藤嘉盛のブログ

ITを使って不動産業界にイノベーションを生むイタンジ株式会社の社長ブログ

イタンジ社長になるまで <大学時代編>

22歳で1000万。
これは貯金額ではなく、当時の僕の借金額だ。
8年前。僕は借金返済のため、サラリーマン生活を余儀なくされた。

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※写真は大学の時の自分

借金の理由は、酒・ギャンブルというような破天荒なものではなく、大学時代の起業が原因だった。当時は「ホリエモン」をはじめ、ベンチャー企業の社長が台頭していた時代。僕はそれまで没頭していたバンド活動に区切りをつけ、「これからはビジネスの世界でやったるぜ!」と、仲間同士で起業をした。

もともと、仲間とコンビニでたむろしながら、「いつかビッグになりてぇなぁ」。そんなノリが好きだった。だから起業も、勢い余って2度も挑戦。1度目は今でいうスマ婚ビジネスを画策し、2度目はバーの出店を計画。これらのビジネスを成功させて、学生起業家として「ビッグ」になる予定だった。

ところが……。やはりそう簡単に「ビッグ」にはなれなかった。スマ婚ビジネスは志半ばで頓挫し、バーは店舗を借りたところでビビッて撤退、しまいには株式運用で大失敗。結果、僕には1000万の借金と、危機感だけが残った。

そして「このままじゃマズイ…! 借金がぁぁぁ!!」とのた打ち回りながら選んだ道が、「就職」だった。僕は借金がもたらす危機感から少しでも解放されるために、満身創痍で就職活動に邁進。その甲斐あって、大手「不動産管理会社」に就職を決めた。

一方でこのとき、僕は自分が「不動産」に関わることに、不思議な縁を感じていた。なぜなら就職活動では、商社や金融、マスコミから下着メーカーまで、あらゆる業種の試験を受けていた。しかし内定が出たのは、決まって「不動産」関係の会社ばかり……。こうして僕は、「不動産」のことなんて眼中になかった日々から一転、実は「不動産」にまみれていた自分の半生を思い出すことになった。

というのも、僕の父は埼玉県で不動産会社を経営し、母はその会社の経理を担当している。そのため幼いころから、暮らしの中には「不動産」があふれていた。たとえば夕食時に飛び交っていた、「ツボ」「へーべー」「カリイレ」といった言葉。こうした専門用語は、学ぶよりも先に、耳で聞いて理解をしていた。

そのほかにも、思い出はたくさんある。保育園の帰り道、父に連れられて行った建築現場では、廃材を積み木にして日が暮れるまで遊んだ。バンド活動に熱中していた10代の頃だって、練習場所は決まって“建築資材置き場”だった。こうして就職を機に人生をふり返ると、自分の過去と未来が、一気に「不動産」を軸につながった気がした。 そして2007年4月、僕は社会人になった。

ただし、1000万の借金を抱えて。