イタンジ社長 伊藤嘉盛のブログ

ITを使って不動産業界にイノベーションを生むイタンジ株式会社の社長ブログ

不動産との出会い

夕暮れ時、戸建の建築現場で余った木材を積み木のように使って一人で遊んでいる。


これは私が不動産に触れた最初の記憶だ。5歳頃の記憶だと思う。父は不動産業で起業して、母はその会社の経理をやっていた。今思うと生活のいたるに不動産があった。保育園が終わると父が迎えに来て、建築現場に立ち寄り、父は大工とやりとりをして、その間、私は建築中の家の中で廃材をおもちゃにして遊んだ。会社に連れられたときは不動産のチラシのうらに落書きをして時間をつぶした。夕食中にも「ツボ」「へーべー」「カリイレ」「チャッキン」など子供番組では決して耳にしないような言葉が飛び交っていた。そんな環境で育ち、兄は一級建築士になり、私は不動産系IT社長になった。

<5歳頃>

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ずっと不動産に興味があったかと言うと、そんなことはない。10代の頃は、不動産は眼中になくバンド活動に没頭していた。(それでも思い返すと、バンドの練習場は建築資材置場だった)父はバンドをやる姿をみて「そんな暇があるなら大工になれ」と言った。大学に入学してからもバンド一筋だった。しかし、二十歳を過ぎた頃、音楽に人生を捧げるほど自分には音楽への情熱が無いことに気づきバンドをやめることにした。音楽は好きだったけれど、音楽以上に「どうすればバンドが売れるか」を考えることに自分の興味があることに気づいた。そして、世の中の不便を解決するようなアイデアを実行してビジネスで大成功しようと思い、音楽から商売へと大きな方向転換をした。今でいうスマ婚のようなビジネスモデルを考えたが、計画と実行力があまりにも不足していて、売上を上げることなく、学生時代の起業は失敗に終わった。起業で失敗して借金を背負い、滑り込むように就職活動を始めた。そして、不動産と再会することになった。

<音楽からビジネスの世界へ足を踏み出した頃>

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商社、金融、メディア、下着メーカーまで様々な業種の面接を受けたが、内定が出るのは何故かすべて不動産業界だった。ふたを開けてみれば、モーセに割られた海を渡るがごとく、不動産業界に導かれ大手不動産管理会社に就職した。(就職してからの話は次の機会にでも)

不動産に再会してから7年が経ち、最初の記憶から25年近くが経とうとしている。私は今、いつも自分の人生の傍に存在していた不動産に対して思うことがある。私は不動産に関わる仕事で、自分の生きた証を世の中に刻みたい。巨大な不動産市場においては人ひとりの人生なんぞ大海の一滴かもしれない。だが、私は不動産に人生をかける覚悟だ。まずは、永らく解決されないままになっている不動産取引における「情報の非対称性」「非効率」の問題を解決する。不動産の流通を変える新たな仕組みを1年以内につくり上げたいと考えている。

<そして今、イタンジのメンバーと>

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